2011年6月21日火曜日

【熱血交遊録~内側から見たJリーグと日本代表】(01) 割り切れない気持ちで参加したチャリティーマッチ

●「トンネルしたらカッコ悪いなぁ」
GKグローブをはめてゴールマウスの前に立ったのは……6ヵ月ぶりになるかな。現役時代から緊張しないタイプだったけど、さすがにブランクも長いし、緊張というよりも「トンネルしたらカッコ悪いなぁ~」と不安もよぎりました。

4日に鹿島スタジアムで行われた東日本大震災復興支援チャリティーマッチ「FOOTBALL STARS AID」に出場しました。元日本代表監督ジーコ率いる鹿島OBチームと、元Jリーガー選抜チームが対戦しました。ボクは元日本代表の小島伸幸さんと元JリーガーチームのGKを務めました。後半から出場したのですが、自殺点を含めて2失点でした。試合はジーコが見事な先制点を決めたり、とても盛り上がりました。

そうそう、ジーコに先制ゴールを決められた(小島)ノブさんが練習中に「(ボールのスピードに)目を慣らさないと」と言って笑わせてくれ、チームの緊張を和らげました。45歳の大先輩ノブさんが、現役を引退されたのは6年前。確かに「目を慣らす」は切実な問題ですが、試合序盤には素晴らしいセーブを披露され、慣習を大いに沸かせました。現役選手の頃から周囲を和ませてくれる楽しい人でした。

●選挙に落選したのに「議員さん」
正直に言います。今回のチャリティーマッチに誘われた時、一度はお断りさせていただいたのです。ボクは2月に引退した後に「埼玉維新の会」を設立して、4月10日に投開票された埼玉県議選(南11区・定数1)に無所属新人として立候補しました。結果はトップ当選者と3000票余りの差で次点に終わり、涙をのみました。政治の道を志し、落選して時間も経っていないのにサッカーをやることにボク自身、割り切れないものがあったのです。

そんな時に鹿島OBチームでプレーされた元代表DFの秋田豊さんから「なぜ断ったの? 落選したからこそ『レッズGK都築龍太』として出ないといけないよ」という電話をいただきました。前日練習の時に顔なじみの選手たちから「議員さん」と呼ばれるたびに「いや、落選しましたから」と苦笑いをするしかありませんでしたが、試合中にトンネルをすることもなく(笑)、有意義な時間を過ごすことができました。お世話になった人に恩返しをと思ってチャリティーマッチに参加し、本当に良かったと思います。今後もこういう機会がありましたら、微力ではありますが、復興支援のお手伝いをできたらと思っています。

ボクは生まれ故郷の奈良県から長崎・国見高にサッカー留学し、卒業した97年にG大阪入りしました。6シーズン目の02年は忘れることのできない年になりました。ボクは西野朗監督に選手として言ってはならないことを口走ってしまい、翌03年にはチームを去ることになったのです。 (つづく)


▽都築龍太(つづき・りょうた) 1978年4月18日、奈良県生駒郡平群町出身。平群中から長崎・国見高。96年高校選手権8強。全日本ユース3位。97年にG大阪入り。00年シドニー五輪メンバー。03年に浦和に移籍。抜群の安定感とアグレッシブな存在感を併せ持ったGKとして05年、06年のJリーグ優勝、07年のACL優勝、同年世界クラブ選手権3位の原動力となった。01年コンフェデ杯ブラジル戦で日本代表デビュー。Jリーグ通算250試合出場。


~日刊ゲンダイ 2011年6月14日付掲載~