2011年6月28日火曜日

【熱血交遊録~内側から見たJリーグと日本代表】(05) 大ゲンカしたトルシエ監督は変人だった

初めて日本代表に召集してくれたトルシエ監督は……あえて断言します。彼は変人です!

2002年日韓W杯の前年にコンフェデ杯がありました。予選B組の日本は初戦のカナダ戦(3-0)、2戦目カメルーン戦(2-0)と先発したヨシカツ(川口能活)さんが無得点に抑え、3戦目のブラジル戦に引き分け以上で準決勝の相手は予選A組2位のオーストラリアとなり、負けるとA組1位のフランスが待ち構えることになる。大一番となったブラジル戦はヨシカツさんがベンチに下がり、正GKを争っているナラ(楢崎正剛)さんが出場。

3番手GKで代表歴ゼロのボクに出番が回ってくることはない――。ボクを含めてチーム全員が、そう考えていたと思います。しかも、ボクはブラジル戦の前日、練習中にトルシエと大ゲンカをやらかしていました。なのでブラジル戦に出るとか出ないとか、それ以前の問題でチームから追い出されてもおかしくない状況だったのです。

トルシエは「GK専用の練習」を重視しないタイプでした。フィールドの選手と同じようなメニューをやらせる傾向が強かった。たとえばGKコーチが左右中央からいろいろな種類のシュートを放ち、必死になってセービングするとか、そういった時間が短かった。練習量が少なく、いつも消化不良気味。どうせ試合に出るチャンスもないだろうし……。気が緩んでいたのかも知れません。

●「ナニ言うてんねん!」
トルシエが通訳を介して「ツヅキ! 集中しているのか!」と言ってきました。ついカチンとしてしまいました。「ナニ言うてんねん! ロクにGK練習もしてないのに動けるかっ! もっと練習させろ!」 トルシエは日本語が分かりません。勢いに任せて通訳にも「おい! ちゃんと訳せよ! 分かったな!」と毒づく始末。もうシッチャカメッチャカです(笑)。ところが、ボクは追い出されることもなく、その翌日には「ブラジル戦に先発させる」と言い渡されてビックリ仰天でした。

トルシエは選手を好き嫌いとか、肌が合うとか合わないとか、そういったことではなくてチームに必要かどうかで評価する監督でした。懐が深く、個人的には好きなタイプの指導者です。それにしても――。負けられないブラジル戦にボロカスに言ってきた代表歴のないGKを先発させるなんて、やはりトルシエは変人としか言いようがないですね(笑)。

ブラジル戦の結果ですか? きっちり抑えて0-0のドロー。ちゃんと役目を果たしました。準決勝のオーストラリア戦はヒデさん(中田英寿)が決勝点を決め、決勝のフランス戦は0-1で敗れましたが、98年W杯王者を最後まで苦しめました。2試合ともフル出場はヨシカツさん。う~ん、2試合とも出たかった! (つづく)


▽都築龍太(つづき・りょうた) 1978年4月18日、奈良県生駒郡平群町出身。平群中から長崎・国見高。96年高校選手権8強。全日本ユース3位。97年にG大阪入り。00年シドニー五輪メンバー。03年に浦和に移籍。抜群の安定感とアグレッシブな存在感を併せ持ったGKとして05年、06年のJリーグ優勝、07年のACL優勝、同年世界クラブ選手権3位の原動力となった。01年コンフェデ杯ブラジル戦で日本代表デビュー。Jリーグ通算250試合出場。


~日刊ゲンダイ 2011年6月18日付掲載~