2011年3月28日月曜日

講談社にとって、夏場の計画停電に伴うクーラーの使用禁止は耐え難い苦痛らしい。(呆)

朝日新聞社が発行する週刊誌「AERA」の表紙が、放射能汚染を面白おかしく煽っていて不謹慎だとして、ネット上で謝罪したらしい。

 東京に放射能がくる|AERA-net.jp
http://www.aera-net.jp/summary/110319_002288.html
http://megalodon.jp/2011-0320-0029-09/www.aera-net.jp/summary/110319_002288.html

確かに、この見出しは誤解を招きかねない。しかし、関東の一部地域では原発事故後、大気中の放射線量が一時上昇したのは事実だった。もっと酷いのは福島県で、福島第一原発から40キロ離れた土壌から高濃度のセシウム137が検出され、最悪の場合、土壌の入れ替えも必要なほど深刻な状況だという。

原発から40キロの土壌、高濃度セシウム 半減期30年
http://www.asahi.com/national/update/0323/TKY201103230215.html
http://megalodon.jp/2011-0323-1312-24/www.asahi.com/national/update/0323/TKY201103230215.html

2ちゃんねるやTwitterの書き込みを見る限りでは、震災発生時から冷静な情報発信と、放射能に関する解説が鋭かったとして、NHKを称賛する声が多かった。逆に、今回の震災で一番不評だったのは、フジサンケイグループをはじめとする(自称)保守系マスコミの報道姿勢であることは明白だろう。中でも産経新聞・読売新聞は、この期に及んで政権批判を展開し菅内閣の打倒を図ろうとしたのだから呆れるほかない。そういうことは、震災が落ち着いてからにしてくれ。フジテレビに至っては、被災地での冷血な取材ぶりや、菅首相会見での報道スタッフの暴言が生放送中の電波に乗って全国に発信されてしまうなど散々だった。

雑誌はどうか。講談社系の週刊現代・日刊ゲンダイのここ数日の主な見出しを見てみると、「クーラーのない生活耐えられますか?」「計画停電で暴動が起きるんじゃないか」「電車通勤できないサラリーマンは虫けらか」etc…「甘えてんじゃねえ!」の一言に尽きる。

しかし、今回の震災での最大の極悪人は、民主党を原発推進政党に転換した張本人であり、地震発生後1週間も雲隠れした小沢一郎である。その小沢一郎であるが、きょう28日に地元・岩手県に入り達増知事と会談、ドヤ顔で政府・東電批判を展開した。「国民の生活が第一」というキャッチフレーズも、今となっては笑い話のタネにもならなくなってしまった。

小沢元代表 岩手県知事と会談
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110328/t10014946781000.html
http://megalodon.jp/2011-0328-2222-09/www3.nhk.or.jp/news/html/20110328/t10014946781000.html

ちなみに、記事の中で小沢が発した「日本沈没」という言葉。どこかで見たことあるな~、と思ったらこれだった。

http://twitpic.com/49vux0

2011年3月26日土曜日

【プロが教える職場の法令順守】(11) 「法に反しなければ大丈夫」の落とし穴

法令に書かれていることは、「やってはいけないこと」です。そのせいか、「法令に違反することさえしなければ大丈夫」と考えがちです。たしかに、法令に違反しなければ、罰を科せられたり、損害賠償の責任は負いませんが、注意しなければいけない点があります。「法令の解釈はひと通りではない」です。

「行列のできる法律相談所」というテレビ番組では、4人の弁護士が1つの問題についてそれぞれ意見しますが、一致する例はほとんどありません。どんな行為がどんな法令に違反するかの解釈は、人によって異なるからです。つまり、自分では法令に違反していないと判断しても、他人の解釈では法令違反だと判断されることはよくあります。

解釈が分かれた場合、統一的な解釈をする権限は裁判所にあります。法令違反だと裁判所が判断して初めて、責任を負うのが正しいのです。ところが、日本ではそうはなっていません。裁判での有罪確定前でも、警察の捜査で容疑者となった者は罪を犯したと決めつけられがちです。

06年の「ライブドア事件」を思い出してください。当時社長だった堀江貴文氏には、実はまだ最高裁判所の判決が示されていません。しかし、ライブドアや同氏の自宅に家宅捜索が入った時点で世間から指弾を受け、それに伴う社会的、経済的制裁を受けました。権力機関から法令違反の疑いを持たれた段階で、事実上の制裁を受けてしまった典型例です。

私たちは、「法令に違反することをやってはいけない」だけでは足らず、「法令違反ではないかという疑いを権力機関から向けられるような行為」すら、やってはいけないことになります。 (小林総合法律事務所代表=小林英明)


~日刊ゲンダイ 2011年3月26日付掲載~

【プロが教える職場の法令順守】(10) 書籍のコピーを社員研修に使うと犯罪

「5ページから8ページまでコピーしてください。研修資料にします」「25部ですね」。日常的に交わされているやりとりですし、書籍のコピーなど、日常茶飯事のように行われていますが、これは著作権法違反という犯罪です。

思想・感情を創作的に表現したものを著作物といいます。著作物を創作した者は、著作権者とされ、著作物の複製(コピー、録画)等を禁止する権利、すなわち著作権を持ちます。書籍の著作権者は作者です。テレビ番組はいろいろな著作権が交じり合い、原作者や監督、脚本家など、多くの人が著作権者となるケースもあります。

著作権者の承諾がない限り、複製を作ることはできません。だから、書籍やテレビ番組の複製(コピー、録画)は、原則禁止です。コピー機やテレビ録画機器が至るところにあるじゃないか、という疑問をお持ちでしょう。著作権者の承諾なく複製(コピー、録画)できる例外も、認められているからです。代表的なものが「私的使用のための複製」です。

すべての著作物の複製を認めなければ、我々の生活は著しく制限されてしまいます。一方、個人的な使用目的による複製ならば、著作権者にそれほど経済的損失を与えません。私的使用のための複製が例外なのは、このような理由からです。どこまでが私的使用の範囲内かは不明確な部分もありますが、大まかにいうと、自分と家族の使用、親しい数人の友人との使用は、私的使用とされるケースが多いでしょう。

しかし、数人の友人との私的な勉強会ならともかく、企業の社員研修は私的な使用とはいえません。企業研修とは、営利を目的とする会社が、その営業成績を上げる目的や、社員の質を向上させ、ひいては会社の業績を上げることが目的だからです。 (小林総合法律事務所代表=小林英明)


~日刊ゲンダイ 2011年3月19日付掲載~

2011年3月12日土曜日

【プロが教える職場の法令順守】(09) どこまでがインサイダー取引か?

「聞いちゃったかといえば、聞いちゃったんですよね」。このセリフ、覚えている方もいるでしょう。発言者は村上世彰氏。ニッポン放送株の売買がインサイダー取引に当たるとして、証券取引法違反の罪に問われ、06年に記者会見したときのセリフです。

超低金利の現在、株式投資は大きなリターンが期待できる資産運用法のひとつ。株式売買をしているサラリーマンも少なくありません。儲けるには、他人より早く正確な情報を入手することが必要ですが、公表前の会社の重要情報、つまり「インサイダー情報」を知り、それに基づいて株取引をすると犯罪なのは、誰でも知っているはず。ところが、「どこまでがインサイダー取引を満たす要件か」は、意外に知られていません。

インサイダー取引は、「その会社の役職者、取引先、または契約締結している者」と、「その者から一時的に情報を入手した者」のみが、処罰の対象とされています。ですから、一時的に情報を入手した者からさらに情報を得た人は「二次的情報取得者」とされ、処罰されません。

例えば、営業に行った得意先で、「今後は増配する予定」と聞いた人がその会社の株を買うと、犯罪です。得意先での雑談など、正式な場ではなく、小耳にはさんだ会社の重要情報で株を買っても、犯罪となることがあります。ところが、その者からさらに同じ情報を聞いた人が、それを基に株を売買しても、犯罪にはなりません。株で儲け続ける人の中には、こういう人もいるのです。

ただし、二次的情報取得者のように見えても、一時的情報取得者と同じ会社に所属する場合は、一時的情報取得者とされるケースもあります。生半可な知識で、このような情報を基に取引をするのは無謀ですし、ヤケドのもと。やめた方が賢明でしょう。 (小林総合法律事務所代表=小林英明)


~日刊ゲンダイ 2011年3月12日付掲載~

【プロが教える職場の法令順守】(08) 退職後の企業秘密漏洩も犯罪になる

今やサラリーマンは、外部に知られると致命的となる会社の機密情報に接することは日常茶飯事ですが、これらを漏洩することも、もちろん許されません。

先日、ホテルの飲食店でアルバイトをする女性が、Jリーガーとモデルのデートをツイッターでつぶやき、解雇される騒動があったばかりです。従業員は会社と雇用契約(労働契約)を締結しており、賃金を得る見返りに会社に対して誠実に労働する義務を負っています。職務上知り得た秘密を漏洩し、会社に損害を与えることは、雇用契約違反です。

就業規則には、「業務上の重大な秘密を社外に漏らしたこと」が懲戒事由として書かれています。違反すると懲戒に処せられたり、時として懲戒解雇されることもあります。皆さんも、このことはよくご存じで、注意しているでしょう。しかし問題は、「会社を退職した後であれば、退職前の企業秘密を漏らすことは問題ない」と思っている人が意外に多いことです。

確かに、雇用契約義務や就業規則は、現職従業員のみが対象です。情報漏洩した人が退職していれば、雇用契約上の義務違反で損害賠償を請求されたり、就業規則違反だと懲戒処分をされることもありません。しかし、退職後でも企業の機密漏洩が犯罪になるケースはあります。「不正競争防止法」という法律です。

市場における競争の過程での不正を防ぐために設けられた法律です。販売に関する情報(販売ルート・販売計画・顧客情報等)、製造に関する情報(製造技術・パテント・開発研究資料など)、コンピューターソフトなどの情報を、企業の機密として保護しています。具体的には、顧客名簿、大口受注契約書、製品の設計図、実験データ、仕入れリスト、販売マニュアルなどを不正な手段で取得したり、これらの行為で取得した機密を使用、開示すると犯罪になります。 (小林総合法律事務所代表=小林英明)


~日刊ゲンダイ 2011年3月5日付掲載~

【TPPに克つ!脱サラ&異端農業成功物語】(05) ホルスタインなのに驚異のうまさと安全性

十勝地方の河西郡芽室町にユニークな畜産農家がいる。農業生産法人株式会社「オークリーフ牧場」を経営する柏葉晴良氏(54)だ。国内でBSEの問題が顕在化する前、正確にいうと17年前から、どのようなプロセスで肉を生産したかを消費者に開示することを強く意識し、治療歴や子牛の出生地などのデータを管理。抗生物質は一切使わず、非遺伝子組み換えやノンポストハーベスト(収穫後農薬未使用)の穀物飼料しか与えず、牛を飼育してきたのだ。

肉牛の場合、子牛を育てる「素牛農家」と、それを肉用に飼育する「肥育農家」に分かれる。柏葉氏は両方を一貫生産しており、価格の安い乳牛の「ホルスタイン」の牡牛、3000頭近くを食肉用として飼育する。「多くの消費者が食べる低価格の肉の安全性を担保することに意義がある」と考えたからだ。「未来めむろうし」というブランド名をつけ、スーパーなどに販売している。

柏葉氏は08年5月、地元の農家有志に協力を募り、地元で焼き肉店「KAGURA」をオープンした。柏葉氏の牛肉や地元でとれた野菜を食材に使う。店舗は芽室農協の古い倉庫を改築した。「一番おいしくて安全なものを地元の人に食べてもらう。それが口コミで広がり、都会の人にも来てもらう。それが地域のためにもなる」と柏葉氏は言う。相当分厚く切ったステーキや、せいろで蒸したリブロース。これらをわさび醤油で食べる。地元でとれた「山わさび」を使う。味は有名な和牛と全く変わらない。

「農家だからやれる焼き肉屋を目指したい」。柏葉氏はこう胸を張ったが、ここまでは紆余曲折があった。親から事業を引き継いだ直後、オイルショックの影響などで1億円を超える借金を背負ったのである。借金返済のため、利益重視、効率性を徹底的に貫いた。「当時は抗生物質やホルモン剤を使いまくっていました」。億単位の利益を上げることに成功して借金も返済、事業も順風満帆だったところで、柏葉さんは目標を失ってしまう。

そこに転機が訪れた。94年、広大な農場内で宿泊体験してもらう「ファームイン」を始め、消費者の声を直接聞いて、「安全で安心なものを生産することが農業の基本」と考え始めたのである。「どん底と大もうけの両方を経験した結果、自分が存続できるための利益だけでいいと思うようになりました」。安全性を求めると、生産性は低下した。年間で1700万円近いコスト高になったそうだ。しかし、こうした肉が評価される時代が来ると思った。部位も偽装されないように1頭単位でしか売らないことにした。BSE騒動の前からだから、先駆者である。

柏葉氏はいま、牛肉の輸出を検討している。海外から引き合いがあるという。そこに「規制」の壁が立ちはだかる。食肉を輸出する場合、国際的な衛生基準「HACCP(ハサップ)」の適用を受けた処理場で解体しなければならないが、それが地元にはないからだ。国内では群馬県と鹿児島県にしかない。輸出コストを考えれば、割に合わない。しかし、柏葉氏はメゲていない。「昨年11月に豪州を視察して、規模の拡大競争ではかなわないと痛感しました。安易な経営拡大より、きめ細かに一頭ずつ育てていくことの方が競争上、優位になる」。ここに日本農業が生き残るヒントがある。

井上久男 1964年生まれ。04年朝日新聞を退社してフリージャーナリストに。自動車産業や農業などを精力的に取材。著書に「トヨタ 愚直なる人づくり」。


~日刊ゲンダイ 2011年3月5日付掲載~

【TPPに克つ!脱サラ&異端農業成功物語】(04) チーズ職人の頑固一徹

帯広市から車で40分ほど南に下ると、河西郡更別村に入る。そこに一見、ログハウスと見間違えるようなおしゃれな建物がある。大根農家の野矢敏章さん(61)の家だ。大根だけで約20ヘクタールを栽培、年商約1億円の大農家だ。

大根栽培が暇になる冬場、野矢さんは頑固一徹のチーズ職人に変身する。地元の牛乳を使い、発酵用の菌にもこだわる。人工のものではなく、地元で自然に生息しているものを使うのだ。たとえばブルーチーズ用の青かびは、地元のパン屋で培養したものを使った。作業場は自宅横に設置した大きな海上輸送コンテナを改造して再利用。さらに自宅地下を熟成庫に改装した。

10年前、地元の乳製品会社OBにチーズ作りを教えてもらい、趣味で始めたのが、5年前から本業化した。夫婦と息子の3人の手作りで、年間500万~600万円を売るのである。野矢さんが生産するのは硬質の「ゴーダ」タイプのチーズだ。ブランド名は「酪佳」。カシワの木のチップで燻製にした「スモーク酪佳」は、2年前の「十勝産新作ナチュラルチーズコンクール」で優勝した。3年前の「洞爺湖サミット」では、野矢さんのチーズが各国首脳に振る舞われた。

「輸入品並みの品質ですね」と褒め言葉をかけられるようになったが、野矢さんはそれが気に食わない。「私は十勝独特のものを作りたいんですよ」。筆者が訪れると、自慢の「酪佳」を包丁で切っておやつに出してくれた。食べてみると、コクがあり、今までのチーズにない風味だ。1年熟成したものは表面が木の皮のようにザラザラしている。さらに2年ものはブランデーのような風味がする。これをつまみにすれば、いくらでも赤ワインが飲める。

素晴らしいチーズなのだが、ここに至るまでは辛苦がある。野矢さんは43年前、旭川近くの東川町で実家を継いで酪農業に就いた。その3年後、日本列島改造論で全土がバブルに沸き、「ゴルフ場用に農地売ってくれ」と街や地元農協に頼まれた。野矢さんひとりだけが断ったため、地元で村八分にあった。「家族が精神的に参ってしまい、土地を売って酪農をやめることに決めました。ところが決めた途端、ゴルフ場計画が中止になった」

計画は頓挫したが、野矢さんには「町や農協に逆らった男」というレッテルが残った。農協のいじめはずっと続き、野矢さんは架空の借金をでっち上げられ、返済請求の裁判を起こされてしまう。野矢さんは損害賠償請求で逆提訴。結局、裁判は野矢さんの事実上の勝訴で和解・決着したが、その後、野矢さんはより大根栽培に適した更別村に引っ越した。チーズ作りへのこだわりは、不本意な形で酪農からの転身を余儀なくされた野矢さんの複雑な思いの結晶かもしれない。

さて、野矢さんは、農業が抱える課題や自由貿易との関係についても意識が高い。昨年11月、農業大国のキューバを視察、有機栽培の都市菜園が普及していることに驚いたという。キューバでも、安さよりも安全なものを自国で確実に調達することを重視しているのである。「日本の消費者は、遺伝子組み換えもポストハーベストも受け入れる準備ができているのですかね」

安けりゃいいってもんじゃない。設備投資を抑えて100年前の製法にこだわる職人は「手作りチーズの意味が分かった人に食べてもらいたいです」と言う。こうした骨太農家がいる十勝の農業は強い。

井上久男 1964年生まれ。04年朝日新聞を退社してフリージャーナリストに。自動車産業や農業などを精力的に取材。著書に「トヨタ 愚直なる人づくり」。


~日刊ゲンダイ 2011年3月4日付掲載~

【TPPに克つ!脱サラ&異端農業成功物語】(03) 無添加ミートソースで大成功

帯広市の西部に位置する、河西郡の芽室町。ほとんどの農家は「主力4産品」で生計を立てている。小麦、大豆、ビート(甜菜)、でんぷん原料用馬鈴薯だ。これらはかつての米と同様、「政府管掌作物」といわれた。政府が全量を買い上げる形で小麦粉や砂糖などに加工されて消費者の元に届いていた。だから「私たちは公務員と同じなんですよね」(地元の農家)といった声をよく聞く。ところが、07年度から政府の買い上げがなくなった。民主党は農家への個別補償政策を打ち出しているが、多くの農家は「国が財政破綻寸前の状況で、いつまでも農家への優遇が続くはずがない」と思っている。

「農家も国の世話にならないで生きる時代が来ていますよ」と話すのは、同町で約30ヘクタールの畑作をしている農家の主婦、鈴木由加さん(45)だ。鈴木さんは美容師出身。彼女の自信には理由がある。「農村起業」で成功しているのだ。

10年前、800万円を借り入れて、計1000万円の投資をした。自宅の横に加工場を設け、農作業の合間に自宅でとれた野菜を材料に無添加のミートソースや五目ご飯などを作り、真空パックにして売るビジネスを始めたのである。地元の直売所やレストランに売るほか、電話やインターネットでの注文にも応じる。商品ブランド名は「すずきっちん」で、これがうまい。何より無添加だから、安心、安全。こうした試みが、新しいビジネスと顧客をつくるのだろう。「本業の農業以外に年間約600万円の売り上げがあり、パートも2人雇っています。借金も1年前倒しで昨年返済が終わりました」

鈴木さんは「北海道女性農業者倶楽部(マンマのネットワーク)」のメンバーでもある。料理家や主婦、農家の奥さんらが主なメンバーで、年1回、素材や加工品を持ち寄り、外部の評価も受ける。若手もアドバイスを求めて訪ねてくる。主力4商品だけでは生き残れない。トマトを栽培してピューレとして売れないか。そんな相談である。

鈴木さんは「やっと地元に根付くことができた」と言うが、彼女に起業を決意させた動機は実は、「農家にやさしい習慣」だった。北海道には独特の金融制度がある。北海道の農家は夏から秋にかけて収穫する。収入は冬に集中し、それを農協の「組合員勘定口座」に入れておくと、夏場に残高が足りなくなっても冬の売り上げを見込んだ信用決済をしてくれるのだ。

これは便利な制度だが、半面、家計は「どんぶり勘定」になりがちで、“甘えの構造”にもつながっていく。「北海道では大規模な機械化が進んでおり、高額の設備投資が不可欠であるためキャッシュが乏しい。でも、働いているのは夏場の4ヵ月で、冬場は何もしていないんですよ」。ドンブリ勘定からの脱却と現金を稼ぐことの必要性を痛感した鈴木さんは、起業を決意したのである。

いま、鈴木さんは事業を拡大させ、「農村レストラン」を検討している。農水省は現在、農業の「6次産業化」を推進する。直接生産する1次産業、加工する2次産業、流通・サービスを担う3次産業をドッキングさせて1+2+3で6次産業というわけで、農業の付加価値を高め、地域の活性化にもつなげていこうという試みである、鈴木さんに比べると、中央官庁の試みは遅すぎるのではないか。

井上久男 1964年生まれ。04年朝日新聞を退社してフリージャーナリストに。自動車産業や農業などを精力的に取材。著書に「トヨタ 愚直なる人づくり」。


~日刊ゲンダイ 2011年3月3日付掲載~

2011年3月6日日曜日

【TPPに克つ!脱サラ&異端農業成功物語】(02) 自然栽培で年商1000万円以上

「この4年間、試行錯誤を繰り返しながら自然栽培に取り組み、ようやく成功しました」。こう話すのは、とかち帯広空港近くの帯広市愛国町で野菜農家を営む薮田秀行さん(54)だ。きのう、この欄で紹介した「やぶ田豚」の養豚家、薮田貞行さんの実兄である。自然栽培とは農業、有機肥料を使わないのはもちろん、耕さず、草取りもしない。畑にそのまま種をまくのである。その方が土壌が軟らかくなり、水や空気がよく根にしみこむ。病気にもならないし、収穫量も変わらないそうだ。

さて、秀行さんも脱サラ組である。近畿大学農学部を卒業後、18年間、大手食品会社に勤めた。しかし、添加物の入った食べ物を売ることに疑問を持ち、安全で安心な食べ物作りに取り組みたいという思いから農業に転じた。

動きは弟よりも早かった。サラリーマン時代の1995年から帯広市内で開かれていた年2回の実地教育と通信教育で構成される農業入門塾に参加、就農準備を始めた。「入塾後はボーナスには一切手をつけず、約1000万円の自己資金を準備しました」。98年に退職して帯広市に引っ越し、準備期間を経て99年から有機農業を開始。02年に借りていた農地も買い取った。栽培面積を徐々に増やし、今は約6ヘクタール。周辺の平均的な大農家に比べれば5分の1程度の面積だが、ホウレンソウ、マメ、カボチャ、カブなど約90種類の野菜を栽培。夫婦で切り盛りしている。

とはいえ、当初の年商はわずか300万円程度だったという。「良い土壌がなかなか完成せず、自分が理想とするような野菜ができなかった。売り上げ確保のため、他の農家から野菜を仕入れて売ったこともありました」。07年に土壌がよくなり、野菜の品質が飛躍的に向上、年商も1000万円以上になったという。

薮田秀行さんは、販売方法も面白い。農協には一切出荷せず、十勝地方の主婦ら個人への口コミ販売が中心なのだ。自宅横に直売所もある。また、顧客名簿には全国で1000人近くが登録されており、注文があれば、1箱3000円で12~13種類の野菜を詰めた「宅配有機野菜」を送る。3年前には畑の横に加工場を設置し、煮豆やトマトのピューレ、ピクルスなどを瓶詰めにして販売する新規事業も始めた。売り物にならないくず野菜は実弟、貞行さんの豚の飼料に回す。「大量生産の農家は目指しません。コミュニティーとのお付き合い。お客さんから農場を支えてもらう。私の畑は皆でシェアしているという考えで農業に取り組んでいきたいと思います」

こうした取り組みは、サラリーマン時代の経験を生かしてのものだ。秀行さんが勤めていた会社はコンビニ向け弁当やサンドイッチの食材を加工していたが、そこで事業部長や工場長なども経験した。製品開発や品質管理だけではなく、コストの管理でも大いに腕を発揮したという。これが生きた。「設備投資を抑えて固定費を下げた農業をしないと、投資を回収しようと必死で売ることばかり考えて品質がおろそかになりがちです。お客さんのためにあえて資本投下しないという考えが自然栽培につながりました」

企業が乗り出す大規模農業が進む米国でも、「CSA(コミュニティー・サポーテッド・アグリカルチャー)」と呼ばれる方法が活性化しつつある。生産者が消費者に直接販売し、地域や消費者も生産者を支える動きだ。「TPPなど経済のグローバル化は避けられないのでしょうが、各農家が消費者を意識して力をつけていくしか生き残りの方法はないと思います」。秀行さんの言葉は力強い。

井上久男 1964年生まれ。04年朝日新聞を退社してフリージャーナリストに。自動車産業や農業などを精力的に取材。著書に「トヨタ 愚直なる人づくり」。


~日刊ゲンダイ 2011年3月2日付掲載~

【TPPに克つ!脱サラ&異端農業成功物語】(01) 口の中でとろける豚肉はこうしてできた

東京・丸の内のビルの地下1階の飲食店街に一風変わった飲食店がある。「とかちの…」。アスパラガスやトウモロコシ、ジャガイモなど北海道の十勝地方でとれた旬の食材を使った料理が出る。これだけなら、単なる郷土料理の店だが、面白いのはすべての食材に「ストーリー」があることだ。生産者がその食材を育み、店に届けるまでの「ストーリー」を聞いていると、今の農業が抱える問題点、課題が浮き彫りになってくる。農薬の使い方、農協との付き合い、流通コストとの闘い、後継者育成、国の補助金政策のあり方などだが、こうした問題点に立ち向かっている人々は実は、脱サラ組だったりする。そこがまた、興味深い。

さて、「とかちの…」でもっとも人気が高いメニューのひとつが「やぶ田豚のメンチカツ」だ。口の中で肉が溶けるようで脂臭さがない。その生産者の薮田貞行さん(50)を訪ねた。帯広市内から車で約30分の上川郡清水町。ここの養豚場に薮田さんの豚、約600頭が飼育されている。薮田さんは日本大学農獣医学部畜産学科を卒業後、飼料会社に就職した。営業や研究開発に携わったが、脱サラして北海道に移住。2001年から養豚業を始めた。経営環境が厳しい養豚への新規参入は全国でもまれだ。なぜ?と聞くと、「独立のきっかけは、サラリーマン時代に売っていた飼料に疑問を持ったことだ」というのだ。「抗生物質が混じっていて、家畜にこんなものを食べさせていいのかという思いが長年ありました。いつか理想の餌で養豚に取り組みたいと思っていました」

00年に飼料会社を退職して帯広市の施設で就農の研修を受けた。その後、約10ヘクタールの農地を購入して養豚業をスタートさせた。飼料には抗生物質を一切加えない特製の餌を使う。地元で収穫される有機野菜のくずも与える。こうして育てると、肉の脂分が低い温度で溶けるため、とろけるような味わいになる。しかし、商品化までは苦労の連続だったという。「大学では子豚は10棟程度まとめて飼育するものだと習いました。でも、いざ、現場でやってみると違うんですね。手伝ってくれる妻は子どもを育てるような感覚で1頭ずつチェック、世話をした。この方が育ちは良かったのです」

こうした試行錯誤に加えて、穀物相場上昇などで予期せぬコスト高に戸惑った。「農協が取る中間マージンの額も思っていた以上に高かった」と言う。「それに農協経由だと、抗生物質を使った豚と一緒に出荷されてしまう。私の豚は本当に価値がわかってくれる人だけに食べてもらいたかった」。そこで、09年3月から農協経由での出荷をやめ、「やぶ田豚」というブランド力で売ることに注力したのである。そうしたら、経営は軌道に乗り、安定した。食肉処理するハム会社に依頼し、豚にICチップをつけて、誰が育てた豚か分かるようにしたうえで食肉に加工してもらう取り組みもした。そのハム会社から自分が育てた豚を買い戻し、個人向け営業も強化した。アトピーの子どもに悩んでいる母親らの間で口コミで広まり、売れている。

今、農家はTPP問題で大きく揺れている。安い外国産の農産物がどっと入ってくれば、潰れる農家が続出するかもしれない。しかし、薮田さんは「お客さんが評価してくれるものを生産していきたい」と淡々と言う。脱サラ農業家の挑戦が日本の農業を変えるヒントになる。

井上久男 1964年生まれ。04年朝日新聞を退社してフリージャーナリストに。自動車産業や農業などを精力的に取材。著書に「トヨタ 愚直なる人づくり」。


~日刊ゲンダイ 2011年3月1日付掲載~