2011年3月6日日曜日

【TPPに克つ!脱サラ&異端農業成功物語】(01) 口の中でとろける豚肉はこうしてできた

東京・丸の内のビルの地下1階の飲食店街に一風変わった飲食店がある。「とかちの…」。アスパラガスやトウモロコシ、ジャガイモなど北海道の十勝地方でとれた旬の食材を使った料理が出る。これだけなら、単なる郷土料理の店だが、面白いのはすべての食材に「ストーリー」があることだ。生産者がその食材を育み、店に届けるまでの「ストーリー」を聞いていると、今の農業が抱える問題点、課題が浮き彫りになってくる。農薬の使い方、農協との付き合い、流通コストとの闘い、後継者育成、国の補助金政策のあり方などだが、こうした問題点に立ち向かっている人々は実は、脱サラ組だったりする。そこがまた、興味深い。

さて、「とかちの…」でもっとも人気が高いメニューのひとつが「やぶ田豚のメンチカツ」だ。口の中で肉が溶けるようで脂臭さがない。その生産者の薮田貞行さん(50)を訪ねた。帯広市内から車で約30分の上川郡清水町。ここの養豚場に薮田さんの豚、約600頭が飼育されている。薮田さんは日本大学農獣医学部畜産学科を卒業後、飼料会社に就職した。営業や研究開発に携わったが、脱サラして北海道に移住。2001年から養豚業を始めた。経営環境が厳しい養豚への新規参入は全国でもまれだ。なぜ?と聞くと、「独立のきっかけは、サラリーマン時代に売っていた飼料に疑問を持ったことだ」というのだ。「抗生物質が混じっていて、家畜にこんなものを食べさせていいのかという思いが長年ありました。いつか理想の餌で養豚に取り組みたいと思っていました」

00年に飼料会社を退職して帯広市の施設で就農の研修を受けた。その後、約10ヘクタールの農地を購入して養豚業をスタートさせた。飼料には抗生物質を一切加えない特製の餌を使う。地元で収穫される有機野菜のくずも与える。こうして育てると、肉の脂分が低い温度で溶けるため、とろけるような味わいになる。しかし、商品化までは苦労の連続だったという。「大学では子豚は10棟程度まとめて飼育するものだと習いました。でも、いざ、現場でやってみると違うんですね。手伝ってくれる妻は子どもを育てるような感覚で1頭ずつチェック、世話をした。この方が育ちは良かったのです」

こうした試行錯誤に加えて、穀物相場上昇などで予期せぬコスト高に戸惑った。「農協が取る中間マージンの額も思っていた以上に高かった」と言う。「それに農協経由だと、抗生物質を使った豚と一緒に出荷されてしまう。私の豚は本当に価値がわかってくれる人だけに食べてもらいたかった」。そこで、09年3月から農協経由での出荷をやめ、「やぶ田豚」というブランド力で売ることに注力したのである。そうしたら、経営は軌道に乗り、安定した。食肉処理するハム会社に依頼し、豚にICチップをつけて、誰が育てた豚か分かるようにしたうえで食肉に加工してもらう取り組みもした。そのハム会社から自分が育てた豚を買い戻し、個人向け営業も強化した。アトピーの子どもに悩んでいる母親らの間で口コミで広まり、売れている。

今、農家はTPP問題で大きく揺れている。安い外国産の農産物がどっと入ってくれば、潰れる農家が続出するかもしれない。しかし、薮田さんは「お客さんが評価してくれるものを生産していきたい」と淡々と言う。脱サラ農業家の挑戦が日本の農業を変えるヒントになる。

井上久男 1964年生まれ。04年朝日新聞を退社してフリージャーナリストに。自動車産業や農業などを精力的に取材。著書に「トヨタ 愚直なる人づくり」。


~日刊ゲンダイ 2011年3月1日付掲載~