2011年8月6日土曜日

【日本サッカーを世界のものさしで測る】(01) 長友が海外で成功すると誰が思ったか

日本、パラグアイ、ブラジル、ポルトガル、フランス、そしてアメリカ――。今年4月、元日本代表MFの広山望は、海外5ヵ国目となるアメリカの独立リーグ(USL)のリッチモンド・キッカーズに移籍した。34歳の広山はこれまで欧州と南米、両大陸の1部リーグでプレーしている。同じ経験をしているのは三浦和(横浜FC)や高原直泰(清水)ら数少ない選手だけである。

広山の経歴には「日本人初」という冠が多い。パラグアイのセロ・ポルテーニョ時代、日本人として初めて南米クラブ王者決定戦・リベルタドーレス杯に出場した。ポルトガルとフランスでは、両国とも1部リーグでプレーした最初の日本人選手だった。今でこそ、多くの日本人選手が当たり前のように欧州でプレーしているが、そうした礎を築いた日本人プレーヤーのひとりなのである。

広山は、2001年にパラグアイでプレーするようになった時から、ずっと日本と国外との「評価の違い」を感じていた。そのいい例が、世界でも有数のビッグクラブのインテルに所属する長友である――と指摘する。「長友のような選手が認められ、成功したことは本当に良かった。しかしながら、彼がイタリアに行く前、Jリーグでプレーする若手の中で誰が海外で通用するか?と意見を求めたとしたら、多分、名前は挙がらなかったと思います。そういう選手が日本とは違った評価を受け、日本人の思っていた以上のレベルのクラブにまで行った」

つまり広山の言いたいことはこうなのだ。日本のメディアを含めたサッカー関係者は、技術が高くて一見、華麗なプレーをする選手を軽々しく“天才”と褒め称える。そして“天才”と呼ばれた選手の多くが大成せず、ツブれてきた。一方、長友のように基本に忠実で正確なプレーが持ち味の選手は、日本では軽んじられる傾向があった。日本のメディアや関係者の多くは、長友の力を見極めた上での評価ではなく、超名門クラブのインテルに移籍したからこそ、こぞって持ち上げているだけなのだ。

「(16~18歳の)ユース年代の選手も、それまで年代別の日本代表に入っていなくても、自分に自信があれば、どんどん海外に行けばいいと思います。長友の例で分かるように、日本国内での評価は、あまりアテにならない。それに振り回されなくてもいいと思います」。広山は、これまで元アルゼンチン代表FWリケルメ、元ブラジル代表MFジュニーニョ・ペルナンブカーノといった本物の天才と対戦してきた。本物の天才は、うまいだけではない。例外なく「強さ」を持っている。その部分も、日本人はいまだに目をつぶりがちである。 (取材・構成=ノンフィクションライター・田崎健太)


ひろやま・のぞみ 1977年5月6日、千葉県出身。習志野高-ジェフ千葉-セロ・ポルテーニョ(パラグアイ)-レシフェ(ブラジル)-ブラガ(ポルトガル)-モンペリエ(フランス)-東京V-C大阪-草津を経て、4月からは米国独立リーグ(USL)のリッチモンド・キッカーズ所属。日本代表2試合。ジェフ千葉入りと同時に現役で千葉大教育学部に入学して話題を集めた。身長175センチ、体重68キロ。


~日刊ゲンダイ 2011年7月5日付掲載~