2011年8月11日木曜日

【日本サッカーを世界のものさしで測る】(02) 欧州では本田圭はどうしても取りたい選手ではない

広山望は、早くから将来を嘱望される選手だった。20歳以下の日本代表として97年世界ユース選手権でベスト8入りしている。この時のメンバーには中村俊、柳沢、宮本恒らがいた。広山は背番号8をつけていた。

若手選手は、ちょっとしたことがきっかけでサッカー人生が変わる。広山がC大阪でプレーしていた時代、ユースチーム所属の柿谷曜一朗が、トップの練習の参加していた。「あの年代では抜群にうまかったですよ。でも、C大阪ではうまくいかなかった。うまい選手が、そのまま代表などに駆け上がっていくわけではないのです。もちろん柿谷も徳島(J2)で頑張っているので、また挽回するかもしれませんけど」。06年に16歳でプロになり、07年U-17W杯に出場した柿谷は、09年シーズン途中で徳島に出された。

柿谷をはじき飛ばしたのは、1学年上で07年にレギュラーを獲得した香川真司である。後に独ドルトムントで大活躍する香川と広山は、C大阪では“入れ違い”だった。「ボクがC大阪を離れた翌06年、香川が入団してきた。その頃から凄い選手だったけど正直、あそこまで行くとは思っていなかった。いいチームに行きましたね」。広山は、ポルトガルとフランスではチームの方向性とかみ合わず、なかなか出場機会に恵まれなかった。助っ人外国人選手がチームに馴染むかどうか、それには監督や選手たちの受け入れようとする度量の広さが関わってくる。それがドルトムントにはあった。

さらに広山は、自身の経験から国外のクラブでは、突出した“何か”が必要になる、と言う。「たとえば本田圭は非常にいい選手だし、チームを前に進める力があります。欧州のトップチームでも十分に通用すると思います。ただ、どうしても本田を取りたいか、というと話は別、本田圭のようなバランスの取れた選手は世界中にいる。やはり機動力のある香川やインテルの長友の方が、欧州では評価されやすいと思います」。もちろん、本田圭にも強力な武器はある。「何よりも魅力はあのフリーキックです。彼が蹴れば得点の可能性は高まるし、アシストも増えていく。欲しいチームは多くあると思いますよ」

日本サッカー界は、往々にしてバランスの取れた選手を育成することに目が向きがちである。しかし、世界で認められるのはそうではない――。広山自身、サッカー選手としては線が細い。それでも欧米各国から評価されたのは、サイドでのスピーディーなドリブルだった。突出した個性があれば、世界で光ることは出来るのだ。 (取材・構成=ノンフィクションライター・田崎健太)


ひろやま・のぞみ 1977年5月6日、千葉県出身。習志野高-ジェフ千葉-セロ・ポルテーニョ(パラグアイ)-レシフェ(ブラジル)-ブラガ(ポルトガル)-モンペリエ(フランス)-東京V-C大阪-草津を経て、4月からは米国独立リーグ(USL)のリッチモンド・キッカーズ所属。日本代表2試合。ジェフ千葉入りと同時に現役で千葉大教育学部に入学して話題を集めた。身長175センチ、体重68キロ。


~日刊ゲンダイ 2011年7月6日付掲載~