2011年4月21日木曜日

【サッカー日本代表・読んだり蹴ったり】(04) 本田圭佑

サッカー専門誌の人気4コマ漫画に登場する本田圭は、いつもふんぞり返って鼻息を荒くしながら、相手が誰であってもエラソーな態度で“タメ口”を利いている。「確かにG大阪のジュニアユース時代から高校年代のユース、トップの年長選手に命令口調で話し掛けたり、いつも“オレ様が一番”的オーラを出していた。しかし、ジュニアユース時代の同期生で現在スペイン1部マジョルカに所属するMF家長が“カリスマ性を出しているけど、本当は(オレ様)キャラなんかじゃない。(日本代表の常連になって)オレが壊してやる”と豪語している」(サッカー記者)。名古屋入り当時は「元フランス代表MFジダンに憧れる」と話し、趣味を聞かれると「読書とカラオケ」と応える純朴な好青年だった。今の本田圭像は「かなりムリしてつくった」モノなのだ。

石川・星稜高から05年に名古屋入り。08年6月に日本代表に初召集。エースとして臨んだ南アフリカW杯では、ベスト16入りの立役者となった。順風満帆のサッカー人生に見えるが、実はG大阪ジュニアユース時代に大きな挫折を経験している。「ジュニアユースからプロ予備軍のユースに昇格できず、石川まで“都落ち”することになったのです。青天の霹靂で、サッカーをやめると口走るほどのショックを受けていた。同じ誕生日で同じ左利きの家長をライバル視しており、その家長が高校2年途中でトップに昇格した時には、じだんだを踏んで悔しがったといいます」(前出の記者)。もっとも、昇格失敗のトラウマを引きずりつつも、そのショックをバネに努力を重ね、日本代表の大黒柱の座を手中にした。08年2月の右ヒザの大ケガもあり、日本代表に定着できない家長とは立場が逆転した。

本田圭といえば「両腕に腕時計を巻く」ことで有名。理由を聞かれるたびに「ボディーバランスを保つため」と答えて周囲をケムに巻いている。「この“ボディーバランスを保つ”発言は、本田圭に言わせると“そんなバカな!”と突っ込んでもらうためのジョークらしい。でも、インタビュアーが真に受けてしまうことが多く、コメントが独り歩きしてしまった」(マスコミ関係者)

最近は「クラシックを追い求めている」とコメントすることが増え、周囲からは「意味不明」といぶかられている。「何てことはない、小さい頃から元アルゼンチン代表の天才マラドーナに憧れ、そのマラドーナが両腕に腕時計を巻いていたので真似しただけのこと。一時期、イタリアの高級時計メーカーガガミラノ製を好んで着けていた」(前出の関係者)。ちなみにマラドーナは両腕に腕時計の理由を聞かれると「遅刻しないため」と、平然と答えるのが常。マラドーナの真意は今なお謎のまま――。

プロ入りの頃は黒髪だったが、オランダ移籍前から「短めの金髪」に。南アW杯の活躍もあって、「10年メンズ髪型オーダー人気ランキング」で俳優の成宮寛貴と並んでランキング1位になった。

【ほんだ・けいすけ】 1986年6月13日、大阪府摂津市出身。摂津FCからG大阪ジュニアユース-石川・星稜高を経て05年に名古屋入り。08年にオランダ1部VVVに移籍。09-10年シーズン途中にロシアの強豪CSKAモスクワに移籍金12億円で引き抜かれた。年俸は名古屋時代の2000万円がオランダで7000万円となりロシアでは1億4000万円に倍増した。CM契約などで年収3億円といわれている。身長182センチ、体重75キロ。血液型AB型。


~日刊ゲンダイ 2011年4月18日付掲載~