2011年4月27日水曜日

【サッカー日本代表・読んだり蹴ったり】(09) 森本貴幸

04年、東京Vのジュニアユースに所属していた中学3年生の森本はトップチームのアルディレス監督の目に留まり、卒業式を待たずに3月13日の磐田戦に途中出場した。史上初の中学生Jリーガーの誕生である。5月5日にはJ初ゴール(15歳11ヵ月28日=最年少記録)。シーズン通算4得点を挙げてJ新人賞に選ばれた。

06年7月、17歳でイタリア・セリエAに昇格したカターニアにレンタル移籍。「当初は武者修行を兼ねた1年のレンタル移籍の予定だったが、本人自身もビックリするほどイタリア生活に馴染んだ。07年6月、森本本人のたっての希望でカターニアへの完全移籍が決まった」(サッカー記者)。ストライカーとしてゴール前で虎視眈々とゴールを狙う。日本もイタリアも同じだが、日本では先輩後輩の関係などピッチ外で息の詰まることも多い。天然系自然児タイプの森本には、肩の凝らないフランクな付き合いの出来るイタリアの水が合ったのである。

小学4年生で東京Vのジュニア入り。ジュニアユースからユースを飛び越してトップに昇格。イタリアに移籍するまで東京Vひと筋だった。当時の森本を知るマスコミ関係者は「どんなイタズラをやっても、どこか憎めないヤツだった。勉強は大の苦手。ボキャブラリー不足も目立ち、言葉遣いもいい加減だった」と振り返る。そんな森本が海を渡り、半年もしないうちにイタリア語の会話をマスター。前出の記者もビックリ仰天である。「日常会話に困ることはないし、イタリア人記者のインタビューも過不足なくこなす。仲間内では『日本語でのやりとりの方が“子供っぽい”感じです。森本にとってイタリア語は、すでに母国語も同然』と話しているところ」(前出の記者)

所属クラブのカターニアは「足先のボール」に当たるシチリア島の東部が本拠。イタリア本土中央やや北、チェゼーナ出身の日本代表ザッケローニ監督が視察に訪れて声を掛けた。しかし、森本との会話には難渋してしまった。「彼のシチリアなまりがひどくて何を言っているのか、あまり分からなかった」(ザッケローニ)からである。「ザッケローニはインテル所属の長友を視察した際に『彼は正しいイタリア語を話す』と驚いていた。長友は日本にいる時から将来を見据え、イタリア語の文法なども勉強していた。森本の場合は『赤ちゃんが耳から入ってくる単語をひとつずつ覚え、それを適当につなげながら会話する』やり方だった。森本にとってはシチリアなまり=イタリア語。もしかしたらなまっていることに気付いていないかも知れないが……」(マスコミ関係者)

右腕に「獅子王」のタトゥーを入れている。「森本は某有力宗教団体を信心している家庭に生まれ育ち、団体の現名誉会長から『獅子王のようにプレーして勝て!』とゲキを飛ばされ、それでタトゥーを入れたといわれている」(消息筋)。08-09年シーズン23試合7得点、09-10年シーズン5得点と結果を残してきたが、今シーズンは11試合1得点とベンチを温めることも多く、森本は「(来季は)絶対に残ることはない」と宣言している。セリエAの中堅パルマ、キエーボ以外にスペインからもオファーが届いているという。 (おわり)

【もりもと・たかゆき】 1988年5月7日、川崎市出身。東京Vから06年7月にカターニアに移籍。5ヵ月はユースチームでプレー。ゴールを量産して同年12月にトップに引き上げられ、翌年1月のアタランタ戦の後半39分にセリエAデビュー。4分後に初ゴールを決めた。3月に左ヒザ前十字じん帯断裂。全治半年の大ケガを負った。08年北京五輪代表。09年10月に日本代表デビュー。10年南アW杯メンバー入りしたが、本大会出場なし。身長180センチ、体重75キロ。


~日刊ゲンダイ 2011年4月25日付掲載~