2011年4月27日水曜日

【サッカー日本代表・読んだり蹴ったり】(07) 長谷部誠

浦和入りして4年目、05年のことだった。「カズが『日本人選手でカカに似ている選手を見つけた。それは浦和の長谷部だ』と話していることをことを聞き及び、本人にお礼を言ったところ、メシでも食べようということになった。それから個人的な付き合いがスタートした」(サッカー記者)

08年1月、ドイツ1部ボルフスブルクに移籍したが、長谷部は05年の頃から「欧州でプレーしたい」と考えていた。それをカズに訴えると「チャンスがあったら迷わずに移籍すべき。それも出来るだけ若いうちに」とアドバイスされた。ドイツに渡った長谷部は本職のボランチ(守備的MF)以外に右MFや右SBなどマルチにこなしながら活躍。09-10シーズンにはリーグ優勝を果たした。日本人のドイツリーグ制覇は、奥寺康彦(古河=現千葉から移籍したケルンで77-78年シーズンに優勝)以来31年ぶりの快挙である。

南アW杯でブラジル代表の背番号10を背負ったMFカカ。スペインの名門レアル・マドリードに所属するスーパースターと「長谷部はプレースタイルが似ている」と言われ、一部のサッカー関係者から「和製カカ」と呼ばれている。「本人もそう呼ばれるのがうれしくて自慢話をするようなキャラではないのに、一時期問わず語りに『似ているなんてとんでもない。大物過ぎて比較対象にもなりません』という言い分で和製カカをアピールする時期があった」(前出記者)

カカの持ち味は足元の確かな技術、卓越した戦術眼、高い決定力。さらに「トップスピードでドリブル突破が出来る」。「実は、長谷部が一番カカに似ている部分が、このドリブルの速さなんです。中盤の底で攻守のつなぎ役をテキパキとこなすイメージが強いが、浦和時代から足の速さには定評があり、ここぞという場面でドリブル突破を図ってシュート!というのが、長谷部の一番の魅力です」(前出記者)

静岡の有名進学校・藤枝東高の出身。静岡の公立高には「裁量枠入試」というスポーツ推薦枠があるが、長谷部は一般受験で入学。高校時代の成績も良く、浦和入りしていなかったら「成績優秀者対象の指定校推薦枠で青山学院大に進むことになっていた」(マスコミ関係者)。品行方正、柔和な性格、面倒見の良さなどで「生来のキャプテン気質の持ち主」(前出記者)ともっぱらだ。「南アW杯の前、いきなり岡田監督(当時)に呼ばれ、長くゲームキャプテンを務めていた中沢に代わってキャプテンマークを巻くように言われてビックリ仰天。“荷が重すぎてムリです。返上します”と岡田監督に泣きを入れた。結局は“おまえしかない”と言われて観念。それでもキャプテンをしっかり務め上げ、精神的支柱として代表チームメートからの信頼も厚い」(雑誌編集者)。長谷部は岡田監督に足を向けて寝られない。

南アW杯ベスト16の日本代表をまとめ上げたキャプテンとしてメディアから大モテ。知名度は飛躍的にアップした。先月末に著書「心を整える。」を出した。「勝利をたぐり寄せるための56の習慣」とサブタイトルが付けられた自己啓発書だが、発売1週間で7万部の大ヒットは、何よりも「日本代表のキャプテン」というブランドの高さのたまものである。「中村俊、岡崎、長友らと同じ事務所に所属しているが、7月に個人事務所を立ち上げて独立する予定。大震災のチャリティー関連イベントなど積極的に手掛けるようです」(前出編集者)

【はせべ・まこと】 1984年1月18日、静岡県島田市出身。藤枝東高時代に総体準優勝。02年に浦和入り。プロ1年目は出場機会ゼロも2年目からレギュラー確保。06年2月、日本代表に初選出されたが、同年ドイツW杯メンバーには選ばれなかった。オシム代表監督時代は代表から外れることも多かったが、岡田監督体制後は不動のレギュラーとなり、南アW杯ベスト16の原動力となった。身長180センチ、体重72キロ。血液型はO型。


~日刊ゲンダイ 2011年4月22日付掲載~