2011年4月18日月曜日

【論点】劇場型首長に対する議会の責任 客員論説委員・有馬晋作

全国の注目をあびた阿久根市長選で、議会と対立しリコールされた竹原信一氏の三選はなかった。しかし来月は、減税をめぐり議会と対立し、議会へのリコール運動を主導し自らは市長辞職した河村たかし氏が、名古屋市長選に臨む。また橋下徹大阪府知事は、大阪市を解体し府を都とする「大阪都」構想実現のため、春の統一地方選の議会選挙で構想支持の候補者を多く擁立しようとしている。

今や変革を訴え議会と激しく対立する「劇場型首長」が話題であるが、最近の社会の閉塞感や地方の疲弊から、どこでも登場しかねない状況である。行政学・地方自治論を専門とする立場から、「劇場型首長に対する議会とは、どうあるべきか」を論じてみたい。

劇場型首長には、リーダーシップを評価する声もあるが独断的な面も多々あり、批判の論調は、本来、民主的な制度は権力分立なので独裁型はいけないというものである。一方、劇場型首長は、自分の方が民意を代表しており、議会が議案否決などで足を引っ張り変革できないと主張する。その理由は、日本の地方自治が首長も議会も住民が直接選挙する「二元代表制」のため、首長と議会の二つの民意があり、議会には立法のほか首長を監視(チェック)する役目もあるからである。

だが、日本の二元代表制の実態は、首長優位型である。アメリカの大統領制に似てはいるが、アメリカは法律も予算も議会に最終決定権があり、大統領には一定の拒否権はあるものの議案提出権はない。一方、日本は、条例案・予算案などの議案提出権や議会を開けないときの専決、さらに議会招集権も首長が持つ首長優位型である。

これに対し、欧米の地方自治は多様な制度を採用しているが、議会優位型が比較的多い。アメリカやイギリス、フランスの自治体は、議会から議員を出して執行部である理事会や参事会を設置したり、シティー・マネジャーを雇う方式など一元型の議会優位も目立つ。この議会優位には、「住民代表の議員の議論によって政策を決める」という基本的考えがある。

そもそも住民にはさまざまな意見があるのに、それを、たった1人の首長が一つの意見(民意)として集約できるのだろうか。まして、劇場型首長の得意な単純な構図に集約できるとは思えない。また、マニフェストも政策パッケージなので、全項目に住民が賛成したとは限らない。むしろ、多くの住民代表で構成された議会の方が多様な意見を反映するのにふさわしい。

以上のことから、わが国の二元代表制での自治体議会とは、首長の主張する民意を、議論によって住民の多様な意見を反映させ、チェックしたり承認する機関だと分かる。だが現在、日本の議会は議論をしていない。本会議の議案採決で最後に数人が賛成・反対を表明する「討論」はあるが、通常の審議は、執行部に質問や要望するのみである。阿久根市議会を傍聴した市民が、市長と議員は平行線との感想が多かったのは、首長と議員は自分の意見を言うだけで、議論が成立しないからだ。

では議論するには、どのような仕組みが必要だろうか。それは、本会議で再質問できる「一問一答方式」を採用し、首長・執行部には議員の質問に対する「反問権」を与えること、また委員会では、議員同士の「自由討議」つまり議論を認めることである。

例として、委員会での保育所民営化に関する議案審議をあげると、執行部による議案説明後の質疑のあと、一般住民、関係者の意見を聞き論点を整理し、先進地の施策も調査した上で、議員間の十分な自由討議を経て採決すべきである。さらに、議論に住民の声を反映するため、議会として「議会報告会」を積極的に開催することが、特に重要である。住民に分かりやすく審議結果を説明し意見交換するのは、住民と議会との信頼関係の構築にもなる。

このように、日ごろから「議論をする」「幅広く住民に説明し意見を聞く」努力を怠らない議会こそ、劇場型首長が陥りやすい住民不満をエネルギーとするポピュリズムへの有効な対抗策になるであろう。 (宮崎公立大教授)


~南日本新聞 2011年1月24日付掲載~