2011年7月8日金曜日

【熱血交遊録~内側から見たJリーグと日本代表】(11) 闘莉王の「飲んでるから来てよ」攻撃には参った

浦和で一緒にプレーしたFWワシントンが先ごろ、現役引退を表明したみたいですね。06年はリーグ得点王の活躍でリーグ初優勝に貢献し、07年にはACL優勝と世界クラブW杯3位の原動力でした。そのオフに退団することになったが、周囲には「せいせいした」という声も少なくありませんでした。守備意識が希薄な選手だったのでチームメートから「相手ボールの時はサボってばかりじゃないか!」と反感を買うことが多かったからです。

ある時、チームで一番寡黙なヤマさん(山田暢久)が「もっと守備をしないか!」とワシントンを怒鳴ったことがありました。ボクを含めて選手全員が「おおっ! ヤマさんが大声を出した!」と仰天しました(笑)。でも、ワシントンのいない08年、選手の思いは「残って欲しかったなぁ~」に変わりました。やはりFWは店を取ってナンボ。守備で手を抜こうが、ここぞという場面でゴールを決められる選手がチームには必要です。そのことが身に染みたというわけです。

闘莉王(名古屋)が浦和にいた頃、「いつものところで飲んでるからね。早く来てよ!」という電話をよくかけてきました(笑)。ボクが浦和入りした翌04年、闘莉王が入団してきました。アイツにとって浦和での1試合目、アウェイの広島戦でした。闘莉王の背中を見ながら「凄い! 何でも出来るDFって本当にいるんだ!」と大きな衝撃を受けたものです。足元の技術が高く、ヘディングも強い。当たり負けもしないし、読みも鋭い。攻撃参加も効果的だし、シュート力もある。でも、大きな欠点がありました。攻め上がると前線に居座ることがあり、持ち場であるDFの中央が空いてしまい、ピンチになることがあったのです。

ボクと闘莉王は、練習でも試合でも「早く戻ってこい!」「すぐには戻れない!」「だったら上がるなよ!」と怒鳴り合うこともしばしばでした。09年にフィンケ監督が就任後、酒を酌み交わすようになりました。さいたま市内の焼き鳥屋から闘莉王が「待ってるからね!」と電話をかけてくる。「もう夜も遅いし、行かへん」と電話を切っても「まだ?」とすぐにかかってくる。「行かへんって!」ときっぱり断っても、30分ほど経つと「まだ?」。根負けして焼き鳥屋に行くと朝まで付き合ったことも何度か……(笑)。

アイツは先輩後輩の関係をわきまえ、自然体で他人を敬うことの出来るヤツです。だからといって堅苦しいわけではないし、こちらからヘンに気を使われることもない。一緒にいて心地良い気持ちにさせられる選手だった。中位以下に埋もれている浦和を見ると「闘莉王がいたらなぁ~」と思わずにはいられません。 (つづく)


▽都築龍太(つづき・りょうた) 1978年4月18日、奈良県生駒郡平群町出身。平群中から長崎・国見高。96年高校選手権8強。全日本ユース3位。97年にG大阪入り。00年シドニー五輪メンバー。03年に浦和に移籍。抜群の安定感とアグレッシブな存在感を併せ持ったGKとして05年、06年のJリーグ優勝、07年のACL優勝、同年世界クラブ選手権3位の原動力となった。01年コンフェデ杯ブラジル戦で日本代表デビュー。Jリーグ通算250試合出場。


~日刊ゲンダイ 2011年6月29日付掲載~