2011年7月8日金曜日

【熱血交遊録~内側から見たJリーグと日本代表】(12) 長友・本田・岡崎…日本代表の若かりし頃

今をときめくインテル所属の長友(佑都)だけど……アイツがFC東京でプレーした頃、実は良く知らなかったんだ。「知らなかった」は語弊があるかな(笑)。ユウトがどんな選手だったのか、「ほとんど印象に残らなかった」という言い方が正確です。理由のひとつに、FC東京には相性が良くて、負けた記憶が1試合ほどしかなく、当然、攻め立てられることも少ない。そうなると左SBの長友が何度も何度もオーバーラップし、ゴールマウスに立ちはだかるボクを慌てさせた……なんて場面は記憶にありません!

長友は人懐っこいヤツだし、よくしゃべるし、とにかく朗らかなムードメーカー。そんな長友が日本代表のレギュラーに定着し、イタリアに渡るとインテルに引き抜かれ、それでも堂々のプレーを見せています。なかなか感慨深いモノがあります。

●しゃべりたくないタイプのはずが…
南アフリカW杯ベスト16入りの立役者のひとり、本田(圭佑)と面識がなかった頃、正直に言って「あまりしゃべりたいとは思わないタイプ」でした。唯我独尊的プレーばかり。年長者にもズバズバとモノを言う。オレ様体質――。そんな風評を耳にしていたからです。

日本代表の合宿で初めて会った時、本田が話し掛けてきました。「都築さん、覚えてないと思いますが、自分がG大阪のジュニアユース時代(99年~01年)、トップチームで練習中の都築さんをよく見ていました」。ボクは97年にG大阪入りし、00年は19試合、01年には29試合に出場しましたし、中学生時代の本田からは“雲の上の人”に見えたのかも知れませんね。いずれにしても噂(?)と違って本田は礼儀正しくて、いいヤツだったし、評価ポイントがアップしたのは言うまでもありません(笑)。

南アW杯予選で活躍した岡崎(慎司)も、最初は「記憶に残らなかった」選手のひとりでした。06年元日の天皇杯決勝戦は浦和と清水の顔合わせ。岡崎にとってプロ入り後、初の公式戦出場だったし、相当に気合が入っていたみたいです。「天皇杯の決勝に先発フル出場しましたが、ゴール前に都築さんがデンと構えて何も出来ませんでした。1-2で負けました。悔しかったです」。日本代表合宿で会った時、ニコニコしながら話し掛けてきた岡崎にボクは「えっ? あの試合に出てた?」とひと言。もちろんワザと冷たく言い放ったのですが、さすがの岡崎も顔が引きつっていましたね(笑)。

3人とも86年生まれでボクの8学年下。年の離れた弟みたいな感覚だけど、日本サッカーのイメージアップのために頑張って欲しいね。 (つづく)


▽都築龍太(つづき・りょうた) 1978年4月18日、奈良県生駒郡平群町出身。平群中から長崎・国見高。96年高校選手権8強。全日本ユース3位。97年にG大阪入り。00年シドニー五輪メンバー。03年に浦和に移籍。抜群の安定感とアグレッシブな存在感を併せ持ったGKとして05年、06年のJリーグ優勝、07年のACL優勝、同年世界クラブ選手権3位の原動力となった。01年コンフェデ杯ブラジル戦で日本代表デビュー。Jリーグ通算250試合出場。


~日刊ゲンダイ 2011年6月30日付掲載~